【永田美香ができるまで③】ラスベガスでATCに。

永田美香とは

ゆたかな心の宿るカラダを作る場の創造が大得意な、ボディーワーカーの永田美香です。

 

みんなが自分のカラダを好きになれば、この社会はもっとあったかくなる!その思いを胸に、レッスンや、セミナーを全国各地で開催し、エクササイズ動画の配信などをしています。

 

人生の節目でもある今、私という人間の足跡を振り返っています。

 

前の記事はこちら、、、

【永田美香ができるまで②】ATCになりたい!

 

ラスベガスへ留学

ということで(前編からの続き)、熊本の高校を卒業後、東京で1年を過ごし、海を渡ってたどり着いたのは、砂漠のど真ん中、ラスベガス!

 

ネバダ州立大学ラスベガス校

ここで、私の修行が始まりました。
大きな’愛’と’信頼’を注ぎ育ててくれた両親。
付かず離れず、でも常に’必要な所に居てくれる’弟2人。
そんな家族と離れて、飛び出した地は、
厳しくも、大きく受け入れてくれたアメリカ。

 

アスレチックトレーナーになるべく入ったプログラムは、私達のころは、1年に10人しか入る事の出来ないプログラム。

なかなか狭き門でした。
留学してから、高校までの勉強不足を改心するかのように、ライブラリーに入り浸り勉強してました。
おかげで、筆記はクリア。
が、問題は面接。。。
つたない英語で、やる気と決意は、必死に伝えました!

そして、合格!

 

でもそこは国家資格を取るカリキュラム。

将来、人の命人の人生に寄り添う人間を育てる場所。

毎日毎日、Libraryで、閉館時間まで粘る日々。

 

テスト前になると閉館時間を過ぎても、セキュリティーのおっちゃんに無理を言って居座りました。

 

スポーツ医学のクラスが開講されるビルディングの写真は、今見ても、涙が出ます、、、

 

教授達のオフィスに通っては、「分からない。。。」って泣き言を吐き、

先生たちはその度に、忙しい時間いっぱい使って支えてもらいました。

 

頑張ったね私。

支えてくれてありがとう、みなさん。

 

私が頑張れた訳

私、2002年、毎年Seniorから選ばれるスカラーシップを獲得しました!

 

とにかく大変な大変な留学5年間でしたが、とても充実して幸せな5年間でもありました。

 

私にとってこの大学を選んだことは、これまでも、今も、そしてこれからも変わらず、人生の中のグッチョイスリスト!の上位に入ります。

 

教授陣も、スタッフも、同期の仲間も日本人の先輩方も後輩たちも、とにかくみんな素敵なのです。

 

佐々木健次兄ちゃん(左から2番目←言わんでも分かるか!?)!!

 

2学年上の、私のBig Brother。

要は、私の教育担当(-^□^-);

 

今でも、困ったことがあると頼ってしまう、とっても大きな存在です。

あ、そうそう、健次さんは岩手は紫波町でConditioning Center HOUSEをオープン!

誰でもが、世界レベルのコンディショニングを受けられる施設です!

 

 

そして、一つ上のやすさんと、ふみさん

今も変わらず、お世話になりっ放しの偉大な先輩達。

アメリカと言う土地で、
言葉の壁、
文化の壁に負けず

貴重な賞を日本人学生がもらい続けている歴史。

 

今現在も、日本人の後輩たちが、このカリキュラムで大活躍してくれています。

とても誇らしいことです。

とても良い大学を卒業させて頂きました。

 

ここでの経験が私の自信になっている

Footballのプラクティスフィールド。

真夏のひからびそうな空の下、

仲間達と、朝5時過ぎから、夜11時頃まで頑張ってました。

 

めちゃくちゃ大変でした。

でも、あの大変な5年間が今の私の自信になっています。

 

寝なくても、

食べなくても、

やりたいことが明確だったら、生きていけます。

 

「質より量!」それをこの5年間ではやりました、よく動きました。

 

トレーナーを目指して27年。

私は今、この地で学んだ知識を基礎に、ボディーワーカーとして人のカラダに寄り添っています。

 

人の人生に寄り添う仕事。
人の命に関わる事もある仕事。

 

簡単になれるモノであってはならないし、いつ、いくつになっても満足なんてできません。

も、このアメリカで時間があるから、今、私は毎日笑って仕事ができています。

 

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【永田美香ができるまで④】社会人1年生は劇団四季